毒友は、言われなくても助けて貰って当然で、気が利く行動をして貰っていないと激怒する生き物です。ところが、その毒友自身は、「普段いじめている困っている友人」にだけ、助け船は出さずに教育と称してしまうのです(道ゆく一般人には猫を被って優しい)。
目次
1。悲しい事件
2。譲ったり助ける行為は本来義務ではない
1。悲しい事件
バス内で高齢者の方が席に座っていた子供に暴力を振るったという事件を耳にしたことがあります。
自発的に譲らなかったことが動機と思われます
ドラマかなんかで「客に茶も出さないの?」という場面がありますが、現実にこういう台詞を言う人を見たことがあります。
以前友人から絵の具を渡すよう言われてそのまま渡すと「いやさ、蓋も開けて欲しかったんだけどな。使えねー」と言われました。
2。譲ったり助ける行為は本来義務ではない
あんたら何様のつもりだ?
相手をパシリか奴隷だとでも思っているのか?
席を譲って欲しければ「すみません、席を譲ってもらえませんか?」と言えないならたとえ老人でも容赦をするつもりもない
手伝って欲しいことがあるなら「ごめん、手をが空いてるなら手伝ってくれない?」の一言がなぜ言えない?
ついでに何かして欲しいなら「~してくれる?」と提案、お願いするのが礼儀です
気配りは強制した時点で気配りではないのです。やってくれればありがたいだけで、しなければ自分のことを自分でするだけでです。